PRODUCER

プロデューサー

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プロデューサー

Pioneer
Mr.Yamamoto

「⽇本にシャンパーニュ⽂化を造る」
業界のパイオニア ⼭本⼀⼈⽒プロデュース

20代の頃にシャンパーニュと出会い、味わいの繊細さや造り⼿の情熱に魅了され、シャンパーニュ⽂化を⽇本に広めたいという思いで活動開始。
⻩⾦に煌めく泡の先には、私たちを惹き付けてやまないメゾン(⽣産者)のドラマがあります。「ホテル」という寛ぎの場所を通して、各メゾンの世界観やシャンパーニュの美味しさ、魅⼒を届けます。

J.S.A.認定シニアソムリエ 山本一人

Profile

プロフィール

シャンパーニュ・エヴァンジェリスト
J.S.A.認定シニアソムリエ

山本一人 Kazuhito Yamamoto

ホテル勤務、レストラン支配人を得て、2007年シャンパーニュ・バー「ラ・シャンパーニュ(La Champagne)」の開店で独立。「日本にシャンパーニュ文化を造る」をコンセプトに活動。シャンパーニュの祭典「夏のシャンパーニュ祭り」を開催するなど、第10回(2018年)の祭典の最終回は、シャンパーニュ地方の世界遺産でもある「トー宮殿(Palais du Tau)」で行い、日仏150周年記念「ジャポニスムの150年」に認定される。祭典には50の生産者、日本から120名のゲストが参加。2012年に、シャンパーニュを普及する会「リヤン・ドール・ドゥ・シャンパーニュ(Lien d’Or de Champagne)」を発起人として発足する。同年、シャンパーニュ騎士団オフィシエを叙任。その後、シャンパーニュの村、ブジィ村、ル・メニル・シュール・オジェ村(日本人初)のシュヴァリエを叙任するなど、シャンパーニュの生産者からの信頼も厚い。現在、ビストロ・シャンパーニュ(Bistro Champagne)の運営、シャンパーニュ・ホテルのプロデュースやワインスクールの講師等、シャンパーニュの啓蒙活動を行う。

▼ シャンパーニュ地方・各社メゾン視察の様子(ホテル開業前)

The Birth Story of Us

世界初のオフィシャル・
シャンパン・ホテル 誕生秘話

ホテルの仕掛け人は、
日本にシャンパーニュ文化を広めた第一人者。

いまや、レストランやバーでシャンパーニュを気軽に楽しむことができますが、数十年前までは、街中でカジュアルに飲めるお店はまだ少なかったといいます。いわば、日本の“シャンパーニュ黎明期”。そんな時代から、フランス現地へ幾度となく足を運び、造り手の想いと情熱にふれてきた、一人の男性がいます。J.S.A.認定シニアソムリエの山本一人氏です。「日本にシャンパーニュ文化を造る」という想いのもと長年活動をしており、現在はシャンパーニュバーの経営などを手掛けています。今回のシャンパンホテルは、山本氏が全面プロデュースのもと実現しました。

山本氏は、2012年に日本にシャンパーニュ文化を広げることを目的とした「リヤン・ドール・ドゥ・シャンパーニュ」を創設。シャンパーニュの祭典を各地で開催するなど、日本最大級のシャンパーニュイベントをオーガナイズしています。他にも、ルイ14世の宮廷貴族たちによって設立されたシャンパン愛好団「シャンパーニュ騎士団」から、上位ランクであるオフィシエ(将校)を叙任。生産者達も、同氏のシャンパーニュにまつわる様々な活動実績と人柄に、厚い信頼を寄せています。

人生を変えた、
1本のシャンパーニュとの出会い。

山本氏のシャンパーニュ人生のスタートは、20歳の頃に参加したワイン会から。わずか5つの年代(1979年、1981年、1982年、1983年、1985年)しか世に出回っていない稀少なボトル「シャルル・エドシック・シャンパーニュ・チャーリー・1985」と衝撃的な出会いを果たします。その芸術的な美味しさに魅せられ、奥深い世界へと誘われていきます。
他のワインでは表現できない、繊細な味わいと、泡の煌めき。シャンパーニュを口にしていると、不思議と嫌なことを忘れ、幸せな気持ちになる。「人々を魅了するこのシャンパーニュたちは、一体どのように作られているのだろうか?」ミステリアスな美酒の背景に興味をもち、はじめてシャンパーニュの故郷フランスを尋ねたのが、いまから25年ほど前でした。

ブドウが作れる、北限ギリギリの地。
厳しい環境で育つ情熱のワイン。

シャンパーニュ地方は、ブドウ栽培ができる北限ギリギリの、非常に冷涼な地域です。霜や雹、雪により大きな被害を受けることもしばしば。ブドウの栽培に恵まれているとは決して言えないエリアです。

山本氏がはじめてシャンパーニュ地方を訪れたのは、1990年代のはじめ。日本人が旅でシャンパーニュ地方を訪れることも、あまり多くはありませんでした。現在のようにワインツーリズムの環境も整っていないにも関わらず、どの生産者も遥か遠い国からの客人を「ようこそ、ムッシュ山本!」と、まるでファミリーを招き入れるように、暖かく出迎えてくれました。大手のメゾンから家族経営の小さなメゾンまで様々な生産者を訪ね歩き、シャンパーニュの人たちの匠の技と哲学を身を以て体感します。

厳しい環境を逆手に取り、寒い地域だからこそ生まれる、切れ味や酸味を活かす。「アッサンブラージュ」という異なる生産年のワインをブレンドする伝統技法が発展し、高いクオリティを保ち、生産し続ける。手間隙を惜しまずに造られる、クラフトマンシップの集大成。
「人の手が加わらないとできない、匠の産物。これが、“シャンパーニュは芸術”と言われる由縁か、と感じました。そしてなにより、この寒く厳しい地域に、飽くなき情熱を持ってものづくりに携わる人たちがいる。彼らの”熱さ”を伝えるのが僕らの仕事だ、と今でも強く思っています。」と、山本氏は語ります。

再現性のないホテルを造りたい。
唯一無二のホテルブランド誕生秘話。

当初、「インバウンド需要を狙った、ビジネルホテルを大阪に作って欲しい」というホテル計画の依頼があったのが、今から1年半ほど前。しかし、大阪には建設中のホテルも多々あり、単なるビジネスホテルを作っても競争が激しく差別化できないと、代表の松山は頭を悩ませます。
そんな中、大阪を拠点にシャンパーニュ界のキーマンである山本氏が活動していることを知り、今回のホテルの話を持ちかけます。そこから、同氏自らフランスの生産者たちに働きかけ、シャンパーニュメゾンとコラボレーションしながら、1つのホテルを創り上げていくことに。

日々多くのホテルが誕生していく中で、私たち温故知新ブランドが大切にしていること。それは、「ひとつひとつの宿に丁寧に向き合い、唯一無二のコンセプトを掲げる」ということです。土地の風土、建築、歴史、食、カルチャー、人。そんな具象にフォーカスし、私たちの視点で紐解き、ホテルとして表現をする。それが、誰にも真似できない”再現性のないホテル”を造ることに繋がると考えています。
山本氏がいなければ実現できなかった。誰かのロマンを応援し、寄り添い、伴走していく。個人の熱い想いとつながりの中で、生まれていく1つの宿。そんなホテルがあってもいいのではないか。これが、”シャンパンホテル”の誕生のきっかけであり、私たちが”再現性のないホテル”を造る理由です。